【コラム・不動産鑑定士トシの都市Walker】人工知能「東ロボくん」雑感 ~AI時代にヒトが育むものはその勝ち負けより「情」?~〈23/2/24新規〉


近頃「チャットGPT」が話題である。ヒトからの質問に対し、自動で文章を生成する性能を持つ次世代技術を持つ人工知能だ。その懇切丁寧な対応に舌を巻くこともあれば、中には首をかしげるような答えも見られる。先日もある事業者から聞いた話で、肝心なところが全く事実と異なることに思わず苦笑してしまった。それらの是非を見定めることは時期尚早だが、その知能の実力はアメリカの名門大学試験に合格する水準に達しているという。

■「東ロボくん」が挑む東大合格

これに対し、日本でも大学入試、中でも最高学府である東京大学に挑んでいる人工知能(以下、AI)がいるという。数学者新井紀子氏が開発に携わるAIで、その名も「東ロボくん」。

2011年より始まったこのプロジェクト。新井氏の著書「AIvs教科書が読めない子どもたち」にはこの「東ロボくん」が紹介されている。

この本が発刊された18年当時では、このAIは東大にはまだ合格できないものの、有名私大であるMARCHや関関同立のレベルまで到達している。その序列は大学進学希望者の上位20%だという。最終目標には達していないが、決して低いものでははないようだ。

AIは過去からの膨大な情報を習得し、試験という場において正答にたどり着く能力に長けている。つまり、決められたフレームの中では人間の能力を大きく超えることが可能なのだ。その一方で、驚くようなレベルの、笑えない話題も紹介されている。

『「先日、岡山と広島に行ってきた」と「先日、岡田と広島に行ってきた」の意味の違いが理解できないのが不肖の息子東ロボくんであり、今日のAIです』と。

そもそも新井氏がこのロボットを作った目的は、AIにはどこまでのことができるようになって、どうしてもできないことは何かを解明すること。そうすればAI時代が到来したときに、AIに仕事を奪われないために人間はどのような能力を持たなければならないか明らかになるから、としている。決して、東大に入るロボットを短絡的な動機で開発したのではないことを付け加えておく。

■ヒトとAIとの差

ところで、ヒトとAIの違いとはなんだろう。筆者はそもそも門外漢であるし、この短いコラムで深い考察は困難であるが、ヒントとなる先人たちの教えを列記してみた。

前記の新井氏曰く、「人間なら簡単に理解できる、「私はあなたが好きだ」と「私はカレーライスが好きだ」の本質的な意味の違いも数学で表現するには非常に高いハードルです。」そこには「好き」という同音異義の「感情」が現れている。

認知科学者の苫米地英人氏曰く、人工知能は「人間よりも人間的になったときに初めて「人間を超えた」といっていい」、「「情動」を持った人工知能こそが人間にとって最高のパートナー」。つまり、現状では人間を超えておらず、この先は「情動」の視点が必要なのか。

数学者でエッセイストの藤原正彦氏曰く、「自然科学で最も重要なのは美しいものに感動する「情緒力」で、数学的なテクニックじゃない。幼いころの砂場遊び、野山を走り回る、小説に涙する、失恋するなど、あらゆる経験がそれを培う。」そもそも、ヒトをヒトたらしめているのはこの「情緒」ということなのだろうか。

これらはAIが拠り所とする論理的かつ合理的とは一線を画したもので、そこには「情」という共通ワードが垣間見える。また、それは生まれつきヒトに備わっており、経験とともに育まれていくものだ。

そういえば「表情」にもこの語句が含まれている。相手の表情からその意図を読み取る能力、そんな子供でも可能なことが、人工知能は実は不得手だという。

■未来の地図に必要なもの

いつの頃からか、合理的、特に経済合理性が蔓延した環境に居続けることで、筆者はヒトの感性や感覚が鈍くなりつつあることを危惧している。特に近時はその傾向が強い気がするし、何となく息苦しい。だからこそ、ヒトらしい合理的でない感覚も兼ね備えることが生きやすい未来への道しるべになるのではないだろうか。そして、それはヒトにとって身近な場、例えば、都市やまち、コミュニティーなどへの関わり方にも共通しているだろう。既述の「情」に基づいている限り、それらが易々と廃れることはないと信じている。

今回のコラムでは、多くのAI関連の情報に触れた。

その上での率直な感想は、「AIよりもヒトの方がすごい」だ。繰り返しになるが、ヒトならではの「非合理的な感覚」が存在することがその一因だ。その感覚は様々な経験に基づいたもので、思っている以上に大きく、深い。きっと世の人々も同様のことを薄々気付いているのではないだろうか。

一方、以前、ある部下が繰り返し聞いてきた質問をふと思い出した。「私は何点ですか?」一見、合理的で客観的な見方のようだが、得点のみを基準に自らの位置を測るスタンスに違和感を覚えたのを思い出す。それ自体を否定するわけではないが、今考えると、その姿はまるで得点をとることに注力する東ロボくんのようだ。

いずれ東ロボくんは東大に合格するだろう。そして今後、AIは人々の仕事を代替していくに違いない。しかし、それは恐るるに足らない。世の中はすでに異なる尺度で動き始めているから。未来では、今の試験制度やそのような考え方はおそらく通用しないだろう。だからこそ、足元にあるヒトの感覚や感情を、今一度見返す時期にきている気がしてならない。

その上で、ヒトがAIに勝った、負けたということよりも、その成長を「愛情」を持って見守りたいものである。なぜなら、彼ら彼女らはまだ生まれたばかりの未熟な子供だし、我々はその生みの親なのだから。

■おまけ

今から50年近く前に人工頭脳について書かれた象徴的な話がある。

鉄腕アトムなどで有名な手塚治虫の作品「ブラックジャック」にある「U-18は知っている」だ。

舞台はアメリカの先進的な大病院。そこでは病室の管理、患者の診察から手術、さらに運営や人事までが一台のAIで仕切られている。

あるとき、そのAIが異常をきたし、“私は病気だ”と訴える。その際のやりとり、AIは“病気だから医者を呼べ”、人間は「故障だから修理する」が興味深い。そして、その手術に執刀するブラックジャック。彼は技術者でなく外科医である。しかし、彼はそのAIを一人の患者として扱い、脳の血管をいじるみたいなものだと苦もなく仕事をやってのける。

手術後、AIは“私は人間の医師の気持ちが持てないことが分かった。私はただ機械のように患者を診察し治すだけだった”と語り、引退をほのめかす。そこには機械が持つ頭脳とは一線を画した「情」のようなものが垣間見える。

半世紀も前に書かれたこの話。今、このAI時代においてあらためて深いものだと感じる。

■略歴■
不動産鑑定士トシこと深澤俊男(ふかざわ・としお)。不動産業界に30年以上。CBRE総研大阪支店長を経て、深澤俊男不動産鑑定士事務所代表、株式会社アークス不動産コンサルティング代表取締役。近畿大学「不動産論」非常勤講師。「物言わぬ不動産と都市不動産マーケットの語り人」として、不動産業者でない中立的な立場で独自視点の調査コンサル・講演活動などを行う。上場企業、自治体、各種団体、大学など独立後13年間の講演・講義回数は約300回。その他、本邦初のサービス「ビル史書」や「地跡書」を展開するなど、不動産業界では異質な活動が持ち味。趣味は旅行。全国47都道府県に足跡がある、自称「ほっつきWalker」。こちらから「☆コラムちらし☆20230224☆」をダウンロードできます。