2020年1月、新型コロナウイルスが確認され、その後数か月で世界中に広まってから約2年半が経過した。諸外国ではマスクをする人々がほぼみられなくなり、日本でも外国人の入国制限が撤廃される見通しとなった。先般は世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長の「終わりが視野に入ってきた」とのコメントが報道された。トンネルの出口がそろそろ見えてきた感がある。
そんな中、9月20日に令和4年地価調査が発表された。22年7月1日時点の地価だ。
コロナ禍の約2年半は人流の抑制などによる経済活動の停滞で、人々のマインドが高まらず、報道も低調なトーンが目立った。地価にも少なからず影響が及んでいるだろう。
ただ、この間、はたして地価は下落基調だったのだろうか。
■令和4年地価調査での大阪市内地価トレンド
弊社のオリジナル調査の前に、国土交通省が発表した、令和3年地価調査及び令和4年地価調査の対前年変動率をみておこう。
大阪圏(大阪府、兵庫県の一部、京都府の一部、奈良県の一部)について、令和4年地価調査は住宅地、商業地ともにプラスを示している。一方、令和3年地価調査はともにマイナスである。
大阪市については、令和3年の商業地はマイナスであるが、それ以外はプラスを示している。
この2年間の社会状況からすると、多少違和感を持つ人も少なくないのではないだろうか。
ここで留意したいことがある。それはこの平均変動率の意味するところだ。
以前、個別の土地価格の動きは全体のトレンドに似た動きをしていた。ただ、近年は必ずしもそうとはいえない。その点から地価動向がわかりにくくなっている。全体トレンドを理解しておくことは意義あることだが、それと同様に各エリア特有の動きも把握しておく必要があるだろう。そこで、そのエリアを示すのにふさわしい代表性を持つ地点を見ることで地価トレンドの理解をさらに充実させることが可能となる。
■指定基準地で、半年ごとの地価トレンド把握が可能
その対象を指定基準地という。
ちなみに、通常の地価調査の各地点のことを基準地といい、全国で2万1444地点(令和4年地価調査)設定されている。
これら基準地の中でも特に代表性の高い、いわば親分的存在がこの指定基準地なのだ。
以前のコラムで何度か述べたが、地価変動が激しい時期では、できるだけ短期で地価をみていくことが重要と感じている。7月1日時点の地価調査は、1月1日時点の地価公示と半年の時間差を経て継続的に公表されている。その大部分は異なる地点であるが、ごく一部につき、同じ場所が設定されている。その地点のことを、地価調査では指定基準地、地価公示では代表標準地という。
そんな言葉を頭に入れる必要はないが、それらの地点では、同一地点の地価を半年ごとに把握可能となることは知っておいた方が便利かもしれない。
つまり、公的評価の制度上、1年間での地価変動が原則であるが、これらの地点ではより短期に見ることが可能なのだ。
■2つの出来事との比較
コロナ禍の地価動向に話を戻そう。
コロナ禍と対比される2つの出来事を挙げるとするならば、一つはコロナ直前のインバウンド等による好況時である。そしてもう一つは近年で最も景気が低迷したリーマンショックであろう。
そこで、以下の2点で、それぞれ2年半の期間を設定し比較してみた。
◇視点1は「コロナ禍」と「コロナ直前」の地価変動の比較
◇視点2は「コロナ禍」と「リーマンショック」の地価変動の比較
なお、対象とするエリアは大阪市24区内。
そこで、地価はどんな動きをしていたのか。どう違うのだろうか。
■オリジナル調査その1(コロナ禍直前の2年半との比較)
◇視点1では、今回のコロナ禍とコロナ禍直前の地価トレンドを調査した(公表情報「コロナ直前期とコロナ禍期の地価トレンド比較」)
なお、ここでの直前期とは、2017年7月から20年1月までの2年半を指す。
まずは中心6区の商業地をみていこう。
コロナ直前期については14地点全てが上昇している。その上昇幅は小さいものでプラス25%程度、大きいものだとプラス100%を超える。すなわち、2年半で地価は2倍になっている地点もある。
ちなみにそれは戎橋のたもとにある「デカ戎橋ビル」の敷地。少し前まで住友商事が所有者で住友商事戎橋ビルと称していたが、先般、ドイツのデカ銀行グループへ売却した。
それ以外の中央区の指定基準地においてもプラス50%など高い上昇率をみせている。
反面、コロナ禍期については、先ほどの戎橋はマイナス35%程度と大きいものの、次いで、瓦町のマイナス7%程度以外は0%前後と2年半の変動は極めて小さいものとなっている。また、地点によってはやや上昇しているものもみられる。
同様に、北区も比較的大きい変動は、大深町のグランフロントが直前期はプラス71%程度、コロナ禍期はマイナス12%程度とやや大きい。ただそれ以外は直前期が40~60%程度の上昇に対し、コロナ禍期はマイナス5%未満のレベルとなっている。
以下、西区、福島区、天王寺区、浪速区もほぼ同様の傾向を示している。
要するに、中心6区の商業地については、コロナ禍直前期は大幅な上昇、コロナ禍期は一部を除いてわずかな下落に留まっている。
ちなみに、この2期間をあわせた5年間のトータル変動率は概ね20~50%の上昇を示している。コロナ禍で減退したイメージが強い商業地であるが、それほどではないという印象だ。
次に、周辺18区の住宅地をみていく。
福島区から鶴見区の周辺18区で、19地点の指定基準地の推移である。
コロナ直前期については、福島区玉川の8・5%や天王寺区真法院町の7・6%があるものの、それ以外は横ばいないし3~4%程度の上昇にとどまっている。
対して、コロナ禍期については、一部マイナスがあるものの、その程度はマイナス1%以下のレベルである。それ以外も横ばいないし4%程度の上昇もみられる。
要するに、住宅地はコロナ禍期においてそれほど大きな影響を受けていないことが考えられる。ちなみに5年間トータルもほぼ全てが上昇している。
■オリジナル調査その2(リーマンショックの2年半との比較)
◇視点2では、今回のコロナ禍とリーマンショックの地価トレンドを調査した(公表情報「リーマンショック期とコロナ禍期の地価トレンド比較」)
リーマンショックとの比較はこれまでよく話題に上がっていた。その実態はどうだろうか。
なお、ここでのリーマンショック期は、2008年7月から11年1月までの2年半を指すこととする。
対象は、
◇視点1と同様の中心6区の商業地と、周辺18区の住宅地。
ただし、指定基準地の数は◇視点1と比べて少ない。理由はリーマンショックの時期に現在の指定基準地が設定されていないことによる。
まずは、中心6区の商業地。
リーマンショック期は、北区、中央区、西区、福島区、天王寺区ともに、マイナス20%~マイナス35%程度下落していることがわかる。
対して、コロナ禍期は先ほど示しした通り、この2年半の変動は小さいものとなっている。
要するに、リーマンショック期はエリアに関わらず全体的に下落していた。またその程度は大幅なものだった。対してコロナ禍期はそれほど大きなものではなかった。
同じく、周辺18区の住宅地。
リーマンショック期は、全ての地点が下落を示している。また、商業地ほどではないものの、その程度は6%~13%とはっきりした下落傾向にある。
対して、コロナ禍期は先ほどと同様、一部に下落がみられるが、それほど大きな下落を示していない。また、ほぼ大部分が程度は小さいもののプラスを示していることが特徴である。
要するに、商業地と同様、住宅地もコロナ禍期はリーマンショック期に比べて、地価に対してそれほど大きな影響を与えていないのだ。
以前のコラムでも触れたが、昨年比という短期的な視野で地価動向を注目するだけではなく、コロナ禍前とコロナ禍中という少なくとも数年単位でその動きを見ることで、大きな流れを掴むことも大事だと考えている。再掲するが、単年度のドラスティックな上下動よりも今回のような一定期間の方が世の中のトレンドを表しているように思える。
■おわりに
長い間、公的評価に携わっているが、国土交通省の発表資料の充実さには驚かされる。これらが公表されていることで様々な分析が可能だ。
今回の資料作成のベースは公表データのみであるが、見方を少し変えることでオリジナル性を持ち、これまでと異なる見方が可能となる。
対前年変動率はよく目にするが、今回のような特定の期間を比較するアプローチはあまり見かけない。
本コラムは一般人向けである。難解なアプローチもよいが、地価トレンドの把握には公表資料等をできるだけ用いることを踏まえたい。そして、そこにこれまでと違う切り口を含ませて、今後も何らかの気づきを提供できればと考えている。
■略歴■
不動産鑑定士トシこと深澤俊男(ふかざわ・としお)。不動産業界に30年以上。CBRE総研大阪支店長を経て、深澤俊男不動産鑑定士事務所代表、株式会社アークス不動産コンサルティング代表取締役。「物言わぬ不動産と都市不動産マーケットの語り人」として、中立的な立場で独自視点の調査コンサル・講演活動などを行う。上場企業、自治体、各種団体、大学など独立後13年間の講演・講義回数は約300回。その他、本邦初のサービス「ビル史書」や「地跡書」を展開中。趣味は旅行。全国47都道府県に足跡がある、自称「ほっつきWalker」。こちらから「☆コラムチラシ☆202200930☆」をダウンロードできます。