【コラム・不動産鑑定士トシの都市Walker】「トップガン」の陰に隠れた映画? ~100キロ歩いて実感した伊能忠敬の偉大さ~〈22/8/19新規〉


2022年8月。3年ぶりに行動制限のない夏である。自然を求めて海や山へ出かける人、イベント、レジャーでまちを訪れる人。ただ、感染者数はまだ落ち着いてはおらず、どう過ごすか迷うところであろう。

そんな中、話題の映画「トップガン マーヴェリック」の日本国内興行収入が110億円を突破した。20年以降に日本で公開された実写映画でNO.1とのこと。5月下旬に封切りされてから3か月近いロングランだ。繰り返し見ている人も少なくないという。

動画配信など巣ごもり需要が際立ったコロナ禍の2年余り。人々は出かけることを制限され、自宅などにて余暇を楽しむことを余儀なくされた。中でも映画館は当初、閉鎖空間に大勢の人が集まるということで、その影響が大きかった施設の一つであろう。

筆者は映画館へ出向くのはよほど気になる場合に限るが、今回はそのどうしても見たい映画であった。以前のコラムでも紹介したとおり、飛行機関係には目がないので、久しぶりにリアルな映画館に赴いた。

足を運んだのは平日であったが、館内はかなりに人混みであった。いわゆる密ではないものの、どの列にも人がいる状態であった。

また、同時期に上映されていた別の見たい映画があった。「大河への道」という。「トップガン」とは大きく異なり、筆者以外には年老いた夫婦らしきカップルだけ、広い映画館でたった3人の観客であった。

全くタイプの異なる2つの作品。どちらも期待を超えるものだったというのが率直な感想だ。

■200年前に偉業を達成した人物

幼い時から地図は身近で、暇があればずっと眺めていた。学生時代は地図を携え、日本中をまわっていた。今もそうだ。その足跡は47都道府県全てに至る。何も自慢したいわけでない。むしろ、ある人の偉業を称えたいからである。その人の名前はもう一本の映画の主人公である、伊能忠敬。

彼こそが今の地図の元を作った人物であるといっても過言ではない。教科書で習った「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」。それは伊能図とも称されている。

航空写真も衛星画像もない時代に自らの足でここまでの地図を作り上げた彼であるが、それは幕府のみならず外国人をも驚かせた。そのレベルが極めて高かったからである。

ちなみに、市販向け近代地図の第1号といわれている「大日本地図」が明治4(1871)年に、小学生向けの「小学必携日本全図」が明治10(1877)年に作られたが、どちらも伊能図がその原型となっているらしい。

 

現在、電車も自動車も飛行機もあり、移動手段には事欠かない。ところがそれらがない時代はどうだっただろう。馬、籠などはあるものの、大部分は徒歩での旅だっただろう。忠敬は今から200年前に、全国を徒歩で測量した。彼が踏破した距離は約4万キロ、地球一周分といわれている。その健脚ぶりには驚嘆しかない。

さらに驚くべきことは、それを人生の晩年、隠居後の55歳からスタートしたことである。

以前から、尊敬する偉人はとの質問の際には、筆者は彼の名前を挙げている。

「一身にして二生を経る」という福沢諭吉の言葉があるが、それを実践した人物なのだ。

そんな忠敬だが、その人生の終焉については複雑な気持ちになる。

それは忠敬が最終版伊能図の完成を見ずにこの世を去っていること。歴史をたどれば明らかなのであるが、それはあまり知られていない。没後、弟子たちが完成させ、上記の全図は1821年に幕府に提出された。それは25mプール2個分に相当し、江戸城の大広間でさえも狭いほどの大きさであったらしい。彼がその光景を目にすることができたなら、と思わずにはいられない。心に刺さるエピソードではないだろうか。

■大阪天満橋から100キロ歩いてみた

2021年3月、コロナ第3波が一段落し、緊急事態宣言が解除された頃、思い立ったことがある。それは、毎年のように参詣している熊野三山への道程を、これまでに辿ったことのない方法でと思った。

「そうだ、大阪から歩いて熊野を目指してみよう」

熊野古道とは、世界遺産にも認定された参詣道などの総称である。

そのうち最も有名なのは、和歌山県田辺市内にある「中辺路(なかへち)」で、コロナ禍前は日本人のみならず、海外からの参詣客も多かった。

 

そもそも熊野古道のルーツは平安時代までさかのぼる。京都の皇族などの熊野参詣に始まり、その後庶民にとってもブームとなった。「蟻の熊野詣」といわれるほど多くの人々がその道を行き交ったのである。

京都から淀川を舟で下り、降り立つのが、今の大阪の天満橋付近である。そこをスタート地点とし、現在の大阪府下を南下し、和歌山県田辺市に至るルート。それは熊野古道(熊野街道)の紀伊路(Wikipediaの地図参照)といわれている。天満橋にはその起点となるモニュメントがある。

 

今回、前述の熊野古道「中辺路」とは趣きが異なる、まちの古道を辿ってみた。忠敬とはケタ違いのわずか100キロだが、自ら歩いてわかったのは、その事績の偉大さだった。

彼は任務として昼は測量、夜は天測や作業。筆者はのんびり歩いているだけ。風景写真を撮り、疲れれば休憩し、おまけに日暮れには電車で帰る。

彼は日本中の海岸線の道なき道を素朴な履物で辿ったのに対し、筆者はほぼ舗装されている快適な道。しかもウォーキングシューズ着用。

比較するのはおこがましい。身命を賭す所業と単なる道楽の違いは歴然としている。

ちなみに、歩道が整備されていないエリアが目立ったこと。クルマ中心のまちづくりになっていることなどを体感した。実際、自分の足で歩まないと本当のところはわからないものだ。

一方で、自治体や地元ボランティアなどによる標識設置や細やかなサインも歩くサポートになっていることにも気づいたし、ありがたかった。

 

1000年前から続く古道、200年前に歩いて作られた精密な地図、そして、今その足跡を辿ると、古からの多くの人々とともに歩んでいるような不思議な感覚になる。

その後の、コロナ禍の波状まん延などで、古道歩きの続きは延期しているが、100キロ道中記とともにまた別の機会に紹介することとしよう。

■おわりに

映画「トップガン」と「大河への道」。時速数千キロという超音速機が作り出す非現実的な世界と、時速数キロで日本中を歩いた異次元の偉業。全く異なるスピード感覚。時代背景も内容も全然違う。しかし、どちらもなぜか似たようなロマンを感じさせる。

心にささるひとときであった。

■略歴■
不動産鑑定士トシこと深澤俊男(ふかざわ・としお)。不動産業界に30年以上。CBRE総研大阪支店長を経て、深澤俊男不動産鑑定士事務所代表、株式会社アークス不動産コンサルティング代表取締役。「物言わぬ不動産と都市不動産マーケットの語り人」として、中立的な立場で独自視点の調査コンサル・講演活動などを行う。上場企業、自治体、各種団体、大学など独立後13年間の講演・講義回数は約300回。その他、本邦初のサービス「ビル史書」や「地跡書」を展開中。趣味は旅行。全国47都道府県に足跡がある、自称「ほっつきWalker」。こちらから「☆コラムちらし☆20220819☆」をダウンロードできます。