前回に引き続き「ほっつきWalker」である。4月上旬に和歌山県最南端の串本町を訪れた。
行先はロケット発射場予定地。スペースワンが事業遂行している「スペースポート紀伊」という施設だ。
■ロケット発射場予定地
残念ながらその敷地内へは入れなかった。また、そこに通じる北側、南側の通路のいずれも関係者以外は立入禁止だった。
【北側入口付近】
【南側入口付近】
では、一般人がロケットの発射を見ることができる観覧場所の予定地はどうなのだろうか。
報道によると、現時点では2か所構想されているというので、そちらに足を運んでみた。
一つは、串本町の田原(たはら)海水浴場。もう一つは、隣接する那智勝浦町のJR紀伊浦神駅近くに所在する浦神(うらがみ)小学校跡地。
ちなみに、ロケット発射場はその間の山中にあり、どちらからも直線距離で約2㌔㍍程度だ。
■田原海水浴場
以下は、南紀串本観光ガイドホームページに掲載されている全体図。
この田原海水浴場から海を眺めるとこんな風景。
週末の良い天気なのに人影はない。広い海岸を独り占めできたし、風が心地よい。
ちなみに、田原海水浴場からロケット発射場予定地を望むと以下のような感じだろう。山があるため、ロケットの発射の瞬間は見ることができなさそうだ。
ただ、この海岸にて寝そべりながら空を眺めるのは格別ではないだろうか。
■旧浦神小学校
その跡地は国道42号線から海方面へ入ってすぐにある。こちらも潮の香りが心地よい、のんびりした場所だ。
通りがかりの人に話を聞いた。この学校の卒業生で先ごろ定年を迎えたという。
すぐ目の前が海であることから門扉は錆び付き赤みがかっている。すぐに左側にある大きな建物は体育館。廃校後しばらく地域活動などで使われていたが、近年は雨漏りがするため使われていないという。
そしてその奥にある校舎。外観上まだ使えそうな建物だった。その屋上からロケットを眺めるという。町としてそのための最低限の通路を確保する予定らしい。2匹のつばめが所狭しに飛んでいた。誰もいない校舎は鳥たちの住処になっているということだろうか。
その横に佇む石碑。そこには校歌とともに開校と閉校の期日が刻まれていた。
その昔、この地区一帯は海だったという。そこに男床島(おとこじま)という島があり、そこに小学校が建てられたのが1903年(明治36年)。男女あわせて200人を超えるときもあったという。それから100年余り経った2013年にこの小学校は閉校となった。最終年の全校児童は10人に満たなかったらしい。昔を懐かしみながら元卒業生がしみじみと語ってくれた。
そもそも子供がいない地区に小学校は必要ない。そんな当たり前のことに、地方における集落の現実をみた。
残った廃校舎はどうすればよいか。そんな公共資産を町としては何とか活用したい。しかし大きな財政負担はかけられない。そんなとき、ロケット発射の見学施設の話が浮上した。町としては期待しているようである。
スペースワンの発表では、22年度中にロケットの発射が予定されており、近時、PRイベントも不定期に行われている。ただ、現時点で具体的なスケジュールの公表はない。
宇宙飛行士という職業に今でもあこがれている人は少なくないだろう。
その昔、アポロ計画の際には、世界中の人々がテレビの前に釘付けになった。近年でもマンガ「宇宙兄弟」やTVドラマ「下町ロケット」などが話題になった。
今回のイベントはインターネットその他様々な媒体でその瞬間を見ることができるだろう。地球の重力に抗って、宇宙に向け飛び立つ。非日常空間の極限とも言える宇宙には人智を超えたロマンを感じさせる何かがあるのかもしれない。そんな夢の世界を、未来を担う子供たちとともに目に焼き付けたいものだ。
誰もいない校庭に桜の花が咲き誇っていた。来年の桜が見られる頃、打ち上げの瞬間にあがる歓声の余韻は残っているのだろうか。
目的であるロケット発射場を見ることはできなかったが、それよりもその陰にある話が心に刻まれた土産になった。
また来よう。
[参考URL]
・スペースポート紀伊周辺地域協議会
■略歴■
不動産鑑定士トシこと深澤俊男(ふかざわ・としお)。不動産業界に30年以上。CBRE総研大阪支店長を経て、深澤俊男不動産鑑定士事務所代表、株式会社アークス不動産コンサルティング代表取締役。「物言わぬ不動産と都市不動産マーケットの語り人」として、中立的な立場で独自視点の調査コンサル・講演活動などを行う。上場企業、自治体、各種団体、大学など独立後13年間の講演・講義回数は約300回。その他、本邦初のサービス「ビル史書」や「地跡書」を展開中。趣味は旅行。全国47都道府県に足跡がある、自称「ほっつきWalker」。感想をこちら(info@arc-s.biz)までお寄せください。こちらから「☆コラムちらし☆20220429☆」をダウンロードできます。