【コラム・不動産鑑定士トシの都市Walker】豊中市の空港周辺地域整備構想がスタート!~迫力ある飛行機撮影スポットが充実~〈21/12/17新規〉


■飛行機撮影の聖地?

「千里川土手」。このワードを聞いてわかる人は、飛行機撮影についてかなり造詣の深い方だろう。関西での飛行機撮影スポットというと「千里川土手」がまず上がるほど有名な場所である。写真のとおり、着陸する飛行機の胴体下部がはっきり見え、手が届きそうなのだ。

全国の主な空港をかなり見てきたが、ここまで飛行機を間近で近くで見れる場所でありながら、人の手がほぼ加えられていないところは見たことがない。30年以上前から訪れているが、当時とほとんど変わっておらず、まるで時間が止まっているような場所だ。時代を感じさせない不思議な感覚に陥る、ある意味貴重なスポットであろう。

その聖地に新たな整備構想があるという。

■大阪空港の経緯

まずは、大阪空港(※)の略歴をざっとみておこう(※:数々の呼称があるが、このコラムでは「大阪空港」としている)。

元々は、先の大戦で軍用飛行場として使われていたが、米軍接収などを経て、1958年に大阪空港として再開港した。その後、国際線が乗り入れ、70年万博を経て、利用者も増加していった。一方、騒音等の公害が社会問題化したことや、その後開港した関西国際空港や神戸空港との関係で廃止論も囁かれるなどその経緯は紆余曲折であった。ただ、その存在意義が再認識されるとともに、近年ターミナルビルの大規模改修が施されるなど空港施設の整備も適宜実施されている。

あわせて空港周辺施設も整備され、現在、以下の公園がある。

北側の下河原緑地内にあるエアフロントオアシス下河原、西側に伊丹スカイパークスカイランドHARADA。どの公園からも、離発着する飛行機をさまざまな角度から見ることができる。ちなみに、大阪空港の敷地は、これまでの経緯から、豊中市以外に、池田市、伊丹市に跨っており、一部「飛地」があるなど、行政区分上、複雑になっている。地理好きの方々には興味深い場所であろう。

■豊中市の空港周辺地域整備構想

話を元に戻そう。11月、豊中市が「大阪国際空港周辺地域整備構想(素案)」を発表した。

その利活用方針は「大空と大地、賑わいから生まれる地域の活性化」とし、「迫力ある飛行機の離着陸を楽しめる場」のほか「緩衝緑地の機能を備えたみどりにふれあれる場」「人と人が交流する賑わいの場」の3点で構成されている。2022-23年度に事業者選定、24-25年度に整備工事を実施。25-26年度の供用開始を目指しているとのこと。

主たるエリアは「エントランスゾーン」「風と自然体験ゾーン」そして「飛行機鑑賞ゾーン」の3つに区分される(下図はいずれも豊中市ホームページより)。

これら3つのゾーン以外に、関係団体整備想定ゾーンがある。構想ではカフェや展望デッキ、芝生公園などが計画されている。ここに寝ころびながら着陸直前の飛行機を眺める。飛行機好きはもちろん、そうでない人たちにも非日常的な体験ができそうだ。

■空港とその施設のあり方が変わる時代へ

近時、鉄道駅や道の駅が話題となっている。いずれも元々は目的地に行くための経由地点に過ぎなかった存在であったが、昨今はそれ自体が目的地化している例が多くみられる。同じように空港やその周辺関連施設も注目されているように感じる。関西の空港では様々な点で、それ自体を目的地化する取組や動きがみられる。それらは、また別の機会に紹介したい。

加えて、これまでにない中継機能を果たす場所として、空港ならではの役割を果たす可能性も出てきた。

読売新聞によると、2024年に開催されるパリ五輪にて、シャルル・ドゴール空港からパリ市街地まで、空飛ぶタクシーを運行させる計画がある。所要時間は40分から15分となり、時間短縮効果が大きいという。

また、25年の大阪万博では、関西国際空港から大阪舞洲まで、同様の動きが構想されているようである。安全性など越えなければならないハードルもあるが、空港のあり方が大きく変わる節目の時期が到来しているような気がする。

未来の地図が書き換えられる日も近そうだ。

■おまけ:飛行機に憧れるあらゆる世代の人たちへ

物心ついた頃、家には飛行機の写真や本、そしてプラモデルが所狭しと並んでいた。父が集めていたのだ。その影響もあって小さいときから飛行機は身近だった。その後、彼がパイロットを目指していたこと、残念ながらその夢は果たせなかったことを聞いた。

筆者が就職活動を始める際、大手航空会社にパイロット自社養成制度があることを知った。当時、将来のパイロット不足に対応するため、航空大学校卒業者のみならず一般の大学生にも門戸を広げたものだった。ただし、試験は5段階で、全てをクリアする必要があり、100人受けて1人か2人が合格という狭き門。ふと父のことを思い出し、一念発起し、受験した。

一次試験は大阪にて筆記試験。結果は合格。二次試験は東京にて面接だった。羽田の受験会場はその航空会社の養成所施設で、そこには若いパイロットや新米CA(当時はスチュワーデス)が集まっていた。その光景を見て心躍ったことを思い出す。試験は全て英語での面接だった。力及ばず不合格。結果、父の敵は討てなかった。

かつて空にあこがれていた子供たちが、社会人になって、目の前の地面やコンクリートの建造物を眺めている。筆者もそんな一人だが、都会の雑踏の中で、ふと空を見上げ、飛行機雲を見つけると、まだ見ぬ未来を思い描いていた、懐かしいあの頃を思い出す。そんな人は少なくないのではないだろうか。

今回の整備構想でつくられる公園にて、離着陸する飛行機を間近に眺めつつ、様々な世代の人たちが何かを感じるきっかけになればいいのにと願う。

■略歴■

不動産鑑定士トシこと深澤俊男(ふかざわ・としお)。不動産業界に30年以上。CBRE総研大阪支店長を経て、深澤俊男不動産鑑定士事務所代表、株式会社アークス不動産コンサルティング代表取締役。「物言わぬ不動産と不動産マーケットを語る専門家」として、独自視点の調査コンサル・講演活動などを行う。独立後12年間の講演・講義回数は約300回。趣味は旅行。全国47都道府県に足跡がある、自称「ほっつきWalker」。