先般、不動産市場で危惧していた報道があった。東京都港区汐留にある電通の本社ビルが売却されるという記事「電通、本社ビル売却検討 国内最大級の3000億円規模」(日本経済新聞)である。国内のビル取引額としては最大級と言われているが、現時点では優先交渉先が決まった段階で、取引が成立したわけではない。
同じく汐留の一角に所在する日本通運も本社ビルを売却するニュース「日通が本社ビルの売却検討、1000億円超か…大手企業に手放す動き相次ぐ」(読売新聞)も報じられた。こちらも1000億円は下らないといわれているが、購入先はまだ決まっていない。
ただ、このような報道が引き金となり、世の中にある様々なタイプの自社ビルとその所有者に何らかの影響を与えないだろうか。そもそも時代は自社ビルを求めていないのだろうか。
以前より、筆者は「オフィス不要論」に異を唱えており、「オフィス不要論に物申す!アフターコロナもオフィスは生き続ける」(未来の地図)という内容を20年8月に書いた。その論拠の一つとして自社ビル・公共施設などの賃貸ビルへの移行がある「在宅勤務からサードプレイスへ移行するための受け皿を!」(未来の地図)としているが、その動きが加速する可能性が考えられる。
これまで自社ビルを持つことには様々な意義があるといわれてきた。
社員を増やしオフィスを大型化し、会社規模を大きくするにしたがって自らのビルを保有することが企業の目指す方向である時代が久しかった。それは金融取引上の担保として用いられ、何よりも企業信用力につながった。つまり、企業活動におけるその結実した形の一つが自社ビルというもの、いわばシンボル的な存在であるが、それが今や企業自身の重荷になるなどそのポジションが揺れている。
話は少し遡るが、不動産証券化が普及し始めた頃に、所有するビルを用いて財務状況を改善するための方法が散見された。自社ビルをバランスシートから切り離す、いわゆるオフバランスである。そして自らはそのままテナントとしてそのビルを借りるのだ。見かけ上は何ら変わらないものの、当時は本社ビルを売却するなんて、よほどメイン事業が困窮しているのではないかというマイナスの声をよく聞いた。日本人のDNAに深く刷り込まれているのだろうか、令和時代に至っても、この手法に何となく後ろ向きの印象を持つ人はいるだろう。
一方、世の中にはどんなに経営が低迷しても自社ビルだけは絶対に手放さないという気概を持つ経営者もいる。本社ビルは単なる建物ではなくそこには魂が宿っているという自らの誇りそのものという位置づけであろうか。
要するに、この災禍の時代に自社ビルをどう扱うかは、決定権者の経営判断や心持ち次第なのだろう。そして、その結果、売却するという判断をした所有者の大多数は「ある程度の金額で売れるはず」と思っている。こんなに設備投資したのだから、こんなに丹精込めたビルだから、などといった特有の思い入れが詰まった自社ビルはどうしても色眼鏡をかけて見てしまう。
しかし、実態は、大型になればなるほど、個性的であればあるほど自社利用としての購入者の絶対数が少なくなり、売りにくくなる。収益性の点からも、自社ビルは、元々賃貸に供することが想定されていないため汎用性に欠け、賃貸用建物と比べると非効率に作られている。
よって、そのまま貸しても周辺相場のような思い通りの収益を上げられないケースが多くみられる。また、建物によっては多額の追加投資がかかる場合もある。その結果、買主のシビアな査定を経て提示されるのは衝撃的な価格となる、そんな例は少なくないだろう。
コロナ禍により、週1回の出勤など出社率に制限が施され、広いフロアに数人しか働いていないオフィスの現実とともに、業態によってはある程度の成果が見込めるリモート業務。床はあるけど使えず、維持修繕費、光熱費、固都税(固定資産税と都市計画税)などの軽くないコストが継続的にかかる。だったら売却へ舵を切ろうか、しかし上記のように思い通りに売れない。
このような状況が継続すると、賃貸ビルに比べてこれまであまり注目されなかった自社ビルの「見えづらい空室問題」へと今後つながる可能性をはらんでいると考える。
想定外の事態が起きているこの不透明な時代だからこそ、自社ビルを持つことの意義を再考せざるを得ない。アフターコロナの時代、自社ビルのポジションにも注目していきたい。
【著者略歴】
不動産鑑定士トシこと深澤俊男(ふかざわ・としお)。不動産業界に約30年。大手不動産サービス会社(現CBRE)でCBRE総合研究所大阪支店長を経た後、2009年に深澤俊男不動産鑑定士事務所を開業、12年に株式会社アークス不動産コンサルティングを設立。大阪市立大学大学院創造都市研究科修士課程修了。近畿大学非常勤講師などを務める。趣味は旅行。全国47都道府県に足跡がある、自称「ほっつきWalker」。